阪神淡路大震災
最後にちょこっとだけ。 震災からしばらく経つと。 「復興」という単語が聞こえ始めてきます。 自分は阪神、淡路地域は復興を成し遂げた。と思っています。 もちろん実情はそんな簡単なものではなく 被災者の中には今でも苦しいと感じている人が少なくないこ…
自分は阪神淡路大震災が起こるまでボランティアというものを信用していませんでした。 というか理解をしていなかったのだと思います。 当時まだ学生で世間知らずだったり。 そもそも日本ではボランティア活動というのが 今ほどは定着していなかったように思…
阪神淡路大震災当時インターネットは 一般にはまだ普及していない時代でした。 あのような大規模災害で 情報を収集しようと思えば 当時はテレビやラジオといった マスコミに頼るしかありませんでした。 しかし、東京キー局からの報道は それはもう他人事のよ…
しばらくの間は試験勉強に追い立てられる日々でした。 当時は学生だったので、募金などをする金銭的余裕も無く。 結局試験終了後も忙しかったのと 被災地からはやや離れていたこともあり ボランティア活動に参加するなんてこともできず。 もやもやしていま…
それから。 学校は確か三日間ほど、全ての授業が休講となったと思います。 逆の言い方をすれば、三日ほどで通常営業に戻ったということです。 自分のいた地域はその程度の被害でした。 授業が再開する日までは ひたすらテレビを見ていました。 淡々と読み上…
つづき 結局部室にいても、何もすることが無いので 自然と解散となり、自分は親戚の家に戻りました。 当時、主な情報源はテレビ・ラジオしかなかったので ひたすらテレビを見て状況を確認する。 次々と明らかになってくる被害状況に言葉も出ず 凝視するしか…
当時、自分はまだ学生でした。 家から通学するにはやや遠い学校でしたが たまたま親戚が、通っていた学校の近くに住んでいたため その家に居候をさせてもらい、そこから通学していました。 ちょうど冬休みも終わり、再開される授業に出席するために 実家から…
もう、20年ですか。 月日が経つのは早いものです。 当時、神戸で被災者となった人が 4年前の東日本大震災では「72時間の壁」に立ち向かうべく 救助する側として東北へ乗り込んでいくことになった。 なんて話もあったようです。 当時自分は、関西にはいま…