かんちでんち

気になったモノ・コトをぼちぼちと。元々観劇記録メインだったものの、昔と比べると観劇回数が圧倒的に減っているので、その他雑文の方が多いのです。

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芝居の話を書く

朗読劇を観た

集団 NO PLAN

「家族百景」

を観まして

 

再演だそうです

私は例によって?

先日の青ブタの記事にも

いろいろ書いてしまった

種崎敦美(種﨑敦美)さん

目当てだったのですが

 

予定では劇場への到着が

ギリギリになるかも?

という感じだったのですが

いろいろとスムーズに事が運び

若干道に迷ったものの

開場時間前には到着し

比較的早めに着席することができました

 

そこで時間を持て余してしまい

渡されたフライヤーの束を

まとめていた

パンフレット

というか

「ご挨拶」的な紙に目を通す

 

登場人物の紹介として

家系図

各場面ごとの役者陣のお名前が

 

毎回配役が変わるのですね

しかも場面ごとに

同じ役でも

演じる役者さんが次々と

変わっていくのですね

あーはいはい、と

 

そして開演後

朗読劇という割には

台本も持ってない役者さん達が

次々に舞台に登場

ヨーロッパ企画でも

 こんな一気に役者を舞台に上げないぞ」

なんてなことを思いつつ

 

家を取り壊す云々の話から

ストールなどをやり取りする流れで

芝居の構造を理解したところで

思いっきり既視感が

 

時を遡ること半年前

思い出したのは

わかぎえふさんの

玉造小劇店の

「お正月」

こちらも家族のお話なのですが

普通のお芝居です

 

明治から平成まで

かなり長い期間を描くので

登場人物はどんどん代替わり

してゆきます

 

一方

「家族百景」でも

時代は巡り

主人公夫婦にも

子供、孫ができ

演じる役者も変わっていきますが

あくまで

主人公夫妻の視点を中心に話が進みます

戦時中の話から戦後まで続きますから

ちょうど昭和を駆け抜けて

平成にも掛かるくらいでしょうか

 

 

突然違う芝居の話まで始めて

何をよくわからないことを

ダラダラ書いているのかというと

「家族百景」観てて

ところどころ涙腺緩むのが

悔しくて悔しくて

 

別に悔しがる必要は

どこにもないのですが

 

基本朗読劇なので

セットも何もありません

役者さんの演技だけで

心揺さぶられるのですよ

 

家族愛だったり

人の生死だったり

そりゃ涙腺も緩むよ

歳を取ったよ

 

たぶん

そういう話だけで

もう一つ別の記事が書けてしまうよ

 

既視感を覚えたのは私の勝手

私が勝手に

既視感を覚えただけで

芝居の向かっていく方向は違います

 

「家族百景」では

まずは戦時中から

終戦直後のお話で

人の生き死にだの

人の想いだので泣きそうになり

終盤も

今度は戦争もない平和な時代での

人の生き死にで

泣きそうになるわけですよ

 

最後に家は取り壊しになり

「人」に収れんしていきます

(正確には「人」ではねぇ

 のかもしれないけど)

 

 

「お正月」でも

戦時中の話などが描かれますが

芝居の発端で

関東大震災の話が出てきて

阪神淡路大震災

東日本大震災

にも話が及びます

 

最後まで

家は残り続ける一方

「人」はどんどん

入れ替わってゆきます

 

何を思うのか

あえて

この記事のタイトルに

芝居のタイトルを入れなかったのは

もういろんな話がごちゃ混ぜに

なって収集がつかなくなったから

 

それでも

衝動的に何かを書きたくなったから

 

普段はいろいろ考えて

書きたい人なのですが

最近は

こういう衝動を

大切にしたいと思っています

 

なので、後で見返して

これはダメだと

思ったら

修正するか消します

 

 

よし、無理やりまとめよう

 

表現する側の人が

ストーリーを考えるときに

何かのきっかけがあったり

あるいは伝えたいことがあったり

するのだと思います

 

私は勝手に既視感を覚えましたが

恐らく違う場所から

スタートしているのではないかと

思います

 

そして

たどり着く場所も違ったとしても

私が既視感を覚えてしまったように

通る道は同じなのかも

しれません

 

果たして

私は本当に

表現する側の人の想いを

受け止めることができたのでしょうか?

 

別に国語の試験問題じゃあるまいし

観る側としては

「何が言いたかったのだろう」

とか無理して考える必要もないのだけれども

 

ふと、昔の友人が言っていたことを思い出す

表現する側でも

観客側でも

芝居が

「何かを考えるきっかけになれば」

いいな、と

 

中途半端に歳を取った今

何か大層なことをしている訳でもありません

正直日々のことで精一杯です

それでも

まずは明日一日

できることをなんとか頑張ろう