かんちでんち

気になったモノ・コトをぼちぼちと。元々観劇記録メインだったものの、昔と比べると観劇回数が圧倒的に減っているので、その他雑文の方が多いのです。

※当ブログではアフィリエイト広告を利用している記事があります

被災者でもない人間が阪神淡路大震災を振り返る ボランティア活動について

 

自分は阪神淡路大震災が起こるまでボランティアというものを信用していませんでした。

というか理解をしていなかったのだと思います。

 

当時まだ学生で世間知らずだったり。

そもそも日本ではボランティア活動というのが

今ほどは定着していなかったように思います。

 

震災後、報道によりとんでもない被害の状況や

過酷な避難所の状況が明らかになってきます。

 

国からの支援は遅々として進まないのであてにならず

地方自治体も大混乱状態で

個々人へ十分に支援が行き届いていない状況でした。

当然被災者同士の助け合いもあったとは思いますが

そこで様々なボランティアが活躍することになります。

ボランティア元年とも呼ばれることにもなったこのとき。

 

ボランティアを行う人にはいろいろな思いがあるでしょうが

純粋に人を助けたいという思いに突き動かされて

活動を行うということはごく自然なことなのだと思わされました。

当時学生だった自分は「金は無いが時間ある」という立場だったので

ボランティアに行きたいとも思いましたが

結局身動きが取れずその思いはかないませんでした。

 

友人で同様に学生だった人も多かったので

「ボランティアに行ってきた」という話もたくさん聞きました。

ただ、そのほとんどの人の口から出てきたのは

「でも、大したことはできなかった」

という言葉でした。

 

人は集まってきても、それを受け入れる体勢が十分ではなかったのです。

当時は地方自治体も混乱状態であったし

災害時に主体的に活動できるボランティア団体が

あまりなかったのだと思います。

恐らく助けを必要としているところはたくさんあったのかもしれませんが

特別な技能を持たない「とにかく何かをしたい」気持ちで集まってきた人達を

必要な場所に振り分けることができなかったのだと思います。

 

そして、4年前の東日本大震災

同じように「助けたい」という想いだけで

震災直後に現地に向かおうとした人もいたと思います。

ネットで見る限りはいろいろ議論もされていたように思いますが

ボランティアを行うにも段階が必要です。

自分のような特別な技能を持たない人間がボランティアに行くには

行くべきタイミングを待つ必要があります。

 

阪神淡路大震災の頃から言われ始めた

「72時間の壁」

少しでも多くの人命救助を行うためには

最初の72時間が勝負になります。

災害発生直後は消防、レスキュー隊などなど専門家の時間です。

それ以外は普段から災害時に活動できるよう備えている

一部のボランティア団体のみです。

役に立ちたい想いだけでやってきて自給自足もまともにできない一般人は被災地では邪魔なだけです。

 

一口にボランティア団体といっても様々です。

東日本大震災のときも様々なボランティア団体が活動したと思います。

発生直後に現地に向かった団体もあれば

まずは準備を整えるところから始めた団体もあったと思います。

 

自分のような特別な技能を持たない人間は

みんなが忘れた頃に行くくらいで丁度いいのかもしれません。

実際、東日本大震災のときは

避難が落ち着いた後もかなりの長期間ボランティアを受け入れていたり

週末に関東圏から日帰りのバスを出して

ボランティア活動を行っていた団体もあったように記憶しています。

 

結局自分は東日本大震災でもボランティアに行くことはかなわなかったので

阪神淡路大震災でのときにはできなかった募金をすることにしました。

募金先の選定がやや難しいところですが

今はネットで情報を集めることができるので

自分なりに納得できるところに寄付が出来ればいいのかなと思っています。

 

今後、自分がそのようなボランティア活動に関わることがあるのかは

正直言ってわかりません。

それでも、勢いだけで突っ走ったり、デマに惑わされたりせず

冷静に行動したいと思います。